“シン・ゴジラ”の異名を持つ、星稜高校のドラフト候補・芦硲晃太選手!
強打の外野手で2年秋には主将としてチームを引っ張り、日本一を達成しています。
また、父・太輔さんは97年の69回選抜大会を制した天理(奈良)の優勝メンバー!
過去に父子2代の選抜制覇は、報じられた前例がありません。
今回は、【星稜・ドラフト候補】芦硲晃太主将の読み方は?父は選抜優勝経験者!を紹介させていただきます。
【星稜・ドラフト候補】芦硲晃太主将の読み方は?
「芦硲 晃太」の名前の読み方は“あしさこ こうた”です。
名前:芦硲 晃太(あしさこ こうた)
生年月日:2006年11月24日
出身:大阪府
身長:175cm
体重:75kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:外野手
経歴:河内長野市立美加の台中学校→星稜高校
河内長野市立美加の台中学校卒業後は、星稜高校へ林和成前監督に声をかけられ進学しました。
甲子園には、2年の夏に背番号13を付けて初戦の創成館高校戦の7回に代打で出場。
その後、2年秋の新チームからはセンターのレギュラーを獲得し、自ら志願して主将に就任します。
秋の石川県大会を制して臨んだ北信越大会では体調不良により1回戦と準々決勝を欠場。
準決勝から復帰しましたが、8打数0安打と結果を残せませんでした。
それでもチームが優勝して明治神宮大会に出場すると、明治神宮大会では16打数7安打9打点、1本塁打の大活躍!
1991年の元ヤンキース松井秀喜さんがいた以来の優勝を達成しました。
【星稜・ドラフト候補】芦硲晃太主将の中学校・小学校経歴まとめ
芦硲 晃太選手は、河内長野市立美加の台中学校出身です。
泉州阪堺ボーイズでプレーしました。
ちなみに、芦硲晃太選手は小学1年生から加美の台ファイアーズで野球を始めています。
当時は主にショートを守っていて、小学6年時にはU-12日本代表に選ばれてU-12アジア選手権に出場。
U-12日本代表ではセカンドとして6試合中4試合にスタメン出場し、日本の銅メダル獲得に貢献しています。
U-12日本代表の仁志敏久監督は
「守りを見ていても、バッティングを見ていても、すごく器用だし、ボールとの間合いを上手に取れる子。
間合いがすごく良くて動きも無駄がない」
と芦硲晃太選手の野球センスについて絶賛されていました。
【星稜・ドラフト候補】芦硲晃太主将の父は選抜優勝経験者!
芦硲 晃太選手の父・太輔さんは、97年の69回選抜大会を制した天理(奈良)の優勝メンバーです!
ちなみに芦硲太輔さんの天理高校時代の同期のチームメイトには、長崎伸一投手(元・千葉ロッテ)がいました。
選抜は1924年の第1回大会から今春で100周年。
芦硲が狙うのは、その長い歴史の中でも前代未聞の快挙だ。
父・太輔さんは97年の69回大会を制した天理(奈良)の優勝メンバー。
過去に父子2代の選抜制覇は、報じられた前例がない。
「父が優勝しているし、いよいよだな…と。まずは初戦を勝ち切りたい」
と尊敬する父が立った頂点へ向け、初戦に全てをぶつける覚悟だ。
引用元:YAHOO ニュース
神宮大会優勝に貢献した、その土台は幼少期に父と二人三脚で励んだ打撃練習で築きました。
時には父が甲子園での経験も語ってくれたそうです。
「ずっと(甲子園は)素晴らしい場所だと聞いてきました。少しでも成長した姿を見せたいと思います。」
それから、被災した石川県民の心情を思うからこそ、芦硲主将はあえて「勇気」などの言葉を使わずに、
「自分たちが石川の方々に勇気や元気を与えられる立場ではない。
それでも全力でプレーする姿を見てもらえたらいいなと思います。
高校生らしく星稜らしく元気ハツラツとプレーしたいです」
と、決意表明しました。
まとめ
今回は、【星稜・ドラフト候補】芦硲晃太主将の読み方は?父は選抜優勝経験者!についてまとめさせていただきました。
是非、応援して楽しみましょう!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。