日本の代表的ロックバンド「B’z」のボーカルを務める稲葉浩志さん。
9月23日に59歳の誕生日を迎えられ、ビーズも35周年!
ちなみに、どの世界でもトップを走り続けるにはパートナーシップも不可欠とよく言われています。
そういえば稲葉さんの奥様ってどんな方?(ファン歴約30年なのに知らない・苦笑)と、気になって調べてみたところ妻である蓬田美奈子さんは、超美人として噂になっているそう。
今回は、稲葉浩志さんの妻について調べてみました!
稲葉浩志の嫁・蓬田美奈子はどんな人?
稲葉浩志さんの妻は、蓬田美奈子(よもぎだみなこ)さんです。
雑誌「mc sister」の読者モデルをしていて「絶世の美女」として紹介されたことがあるそうです。
はっきりとした綺麗なお顔立ちでこの写真を見ただけで分かるように、蓬田美奈子さんはとても美しい女性のようです。
鼻筋がしっかり通っていて、日本人らしからぬ雰囲気さえ感じさせます。
年齢は稲葉さんよりも2歳年上とのことですので、1962年生まれということが分かりました。
稲葉浩志の嫁の蓬田美奈子は松崎しげるの元嫁?
蓬田美奈子さんは、稲葉さんと結婚する前に歌手の松崎しげるさんと結婚していました。
当時の松崎しげるさんも蓬田美奈子さんについて「絶世の美女」とコメントしています。
蓬田さんは18歳、松崎さんは32歳という年の差もあり、とても話題になっていたようです。
(松崎しげるさんとは1981年に結婚し、1991年に離婚しています。)
稲葉浩志と嫁との出会いのキッカケは松本孝弘?
稲葉浩志さんと蓬田美奈子さんの、馴れ初めについて紹介します。
蓬田美奈子さんが勤めていたキャバクラに、B’zの松本さんが来店しました。
その際に稲葉さんの情報を聞き出し、通っているスポーツジムの情報をゲットしたという噂があります。
この噂が本当であれば、蓬田美奈子さんはとても積極的な女性ということになりますね。
そして、ジムで何度か顔を合わせているうちに稲葉浩志さんから声をかけたそうです!
稲葉浩志と嫁の今の関係は良好!
この画像は、結婚20年目の年に撮影された2人の写真です。
この日は稲葉さんの誕生日ディナーに向かっており、その時の様子を撮ったものになります。
誕生日の為に2人で出かけるあたり、現在も夫婦関係は良好と言えるでしょう。
冷静で寡黙な稲葉さんとは反対に、美奈子さんはお喋りなタイプらしく、相性が良いと言われています。
また、普段から喉や体調の管理を徹底している稲葉さんに対し、しっかりと気配りができているのではないでしょうか。
稲葉浩志と嫁の間には子供が1人?
2人の間には息子さんが1人おり、名前は稲葉志門(しおん)さんだと言われています。
日本経済新聞社主催の短編文学賞の「星新一賞」のジュニア部門を受賞したこの少年が稲葉さんの息子さんではないかと噂されています。
稲葉さんの作詞の才能を、受け継いでいるようですね!
B’z稲葉浩志の元嫁・美紀との馴れ初めは打ち上げ!
実は、現在の奥さんと初婚ではなかった稲葉浩志さん。
その前の嫁さんについて調べてみると、かなり運命的な出会いをしてます。
元嫁のお名前は「美紀」さんと言い、稲葉さんと出会ったのは1990年代の前半で、まだ長崎県の活水女子短期大学に通う大学生でした。
美紀さん自身は広島県出身の女性なのですが、大学に通う都合から長崎県内でバイトしていたのです。
ちなみに、その当時のB’zといえば曲を出せば評判は良いものの、ギターの松本さんの意向でホール中心にライブを行っていた時期。
そんな時期、長崎でのライブの打ち上げの場にて、稲葉浩志さんと美紀さんは出会いました。
美紀さんは大学のある長崎でコンパニオンのバイトをしていたのですが、そこでライブの打ち上げに参加し、稲葉さんと出会ったのです。
当時の稲葉さんは25歳で、美紀さんに惚れ込み、連絡を取り合う仲に。
そこから2人が交際に発展したのは、美紀さんが大学を卒業しスチュワーデスになって上京した直後でした。
B’z稲葉浩志の元嫁・美紀が3つの名曲「いつかのメリークリスマス」「愛のままにわがままに」「裸足の女神」誕生のきっかけに?
長崎公演の打ち上げで出会って、1年後の1991年に美紀さんは大手航空会社「ANA」に就職し、客室乗務員となりました。
仕事のために上京すると、すぐに稲葉さんとの交際が始まり、極秘で同棲を始めました。
一緒に住んでたのは、六本木のマンションだそうです。
美紀さんが上京する頃にはB’zはチャート上位入りが当たり前の人気ロックユニットになっていたので、出会った頃よりもロックスターに。
多忙なお二人だったので、きっと会える時間も少なく、たまに家で一緒にいれる時間さえも幸せだったことでしょう。
そんな時期に、稲葉浩志さんが書いた曲というのが、この永遠の名曲3つデス↓
①いつかのメリークリスマス
②愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない
③裸足の女神
それから交際から4年目の1994年6月、ニュージーランドで挙式し、見事にゴールインとなりました。
稲葉浩志さんの初婚は30歳の頃で、美紀さんは20代半ば。
白金の高級マンションで新婚生活を始め、美紀さんと稲葉浩志さんの間に子供はいませんでした。
しかし、なんと結婚して1年3ヶ月後の1995年9月4日に、離婚することになったのです。
当時の稲葉さんは、31歳の誕生日目前。
また、別れを切り出したのは美紀さんの方だったというから驚きです。
離婚の理由については、ネット上では忙しすぎて家に帰らない稲葉さんに、美紀さんが耐えられなかったとの憶測が多いです。
やはり、当時はまだ若かったということで、結婚の理想と現実のギャップについていけなかったのかもしれません、、、
稲葉浩志のWikiプロフィールまとめ
稲葉浩志さんのWikiプロフィールは、コチラです↓
稲葉 浩志(いなば こうし、1964年9月23日 – )は、日本のボーカリスト・作詞家・作曲家・シンガーソングライターであり、音楽ユニット・B’zのメンバー。
ソロ活動の際には作曲とレコーディング等でのギター、アレンジ、プロデュース等も担当。
岡山県津山市出身。 既婚。
所属レコード会社はビーイング、レーベルはVERMILLION RECORDS所属。
所属事務所はVERMILLION。
【略歴】
1964年9月23日 – 岡山県津山市で生まれる。
1971年 – 津山市立林田小学校入学。
1977年3月卒業。
1977年 – 津山市立津山東中学校入学。
1980年3月卒業。
1980年 – 岡山県立津山高等学校入学。
1983年卒業。
1983年 – 横浜国立大学教育学部中学校教員養成課程(数学)入学。
1985年 – 当時ビーイング音楽振興会(現・Being Music School)に所属していた大学生時代に、BLIZARDのギタリストの松川敏也(RAN)のソロアルバム『BURNING』に謎のボーカリスト「Mr.CRAZY TIGER」として参加。
同作はLPと12センチCDでリリース。
また、ビーイングの斡旋でモデルの仕事も務めた。
1987年 – 横浜国立大学卒業。
卒業後は、稲葉をデビューさせるための事務所主導のプロジェクトとして、事務所所属の若手ミュージシャンと共に通称『稲葉バンド』が結成されていた。
その稲葉バンドにはベーシストとして明石昌夫も参加。
メンバーチェンジを繰り返しながらも、結局バンドは自然消滅。
1988年 – 9月21日、松本孝弘と結成した音楽ユニット・B’zとしてデビューし、現在に至る。
B’zの曲では「Nothing To Change」以外の全ての楽曲で作詞している。
同年に発売された前田亘輝(TUBE)のソロアルバム『Feel Me』では初めて楽曲を提供し、作曲家デビューを果たす。
「天は二物を与えず」という言葉がありますが、稲葉さんの学生時代からミュージシャンの経歴を見てみると、天が二物も三物も四物も与えているかのようですね!
まとめ
今回は稲葉浩志さんの嫁、蓬田美奈子さんについてまとめていきました。
ぼく自身、小学校3年の時に転校してきた環境になじめず、ひたすらモヤモヤしていた時に出会ったのががB’zの「ZERO」でした。
「どうせ、自分の気持ちなんて誰もわかってくれない」
とひとりよがりになっていたぼくの胸を思い切り打ち抜かれ、
「男もホレる男って、こういうひとのことだ!!」
と衝撃が走り、気がつけば早ファン歴約30年となりました!(笑)
知れば知るほど魅力の塊の稲葉浩志さん!
今後も、2人の結婚生活が幸せなものであることを願います!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。