【顔画像】栃煌山の嫁が美人!馴れ初めや愛称「シャケ」の由来も調査

相撲
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大相撲で、長きに渡り幕内力士を務めている実力者の栃煌山(とちおうざん)。

大関候補として期待を集めていましたが、度重なる怪我に苦しめられ思うようにならない時期も過ごしてきました。

そんな苦難の時を陰ながら支えてくれた、お嫁さんの存在が美人だと評判!

2人はどのような出会いや馴れ初めがあったのか、調査してみました。

【顔画像】栃煌山の嫁が美人!

栃煌山は平成29年6月に、滋賀県大津市の(旧姓・山本)せりさん(当時31才)と結婚しました!

この吉報は、下記のように報じられました。

”大相撲の小結栃煌山(30)=春日野=が28日、両国国技館で会見。

6月19日に山本せりさん(30)=滋賀県大津市出身・会社員=と結婚していたことを発表した。”

引用元:『デイリー』

約3年間の交際を実らせ、6月の入籍の時にはせりさんは第一子を妊娠

平成29年9月11日に、長女の稟(りん)ちゃんが誕生

力士は巡業や地方場所など東京を離れることが多く、子供と一緒にいられる時間が限られてしまいます。

それでも毎日のようにテレビ電話で、せりさんと稟ちゃんの顔を見るのがパワーの源。

「自分一人ではないので家族のために頑張りたい」と話していました。

栃煌山の嫁との馴れ初めは?

2人の馴れ初めは、平成25年に栃煌山の後援会関係者の紹介で一緒に食事を共にしたことがきっかけでした。

下記の通り、なんと栃煌山の「一目ぼれでした」だったそう!

”知人の紹介で4年前に知り合い、3年前に交際に発展した。

「明るいし、一緒にいて落ち着くし楽しい気分になる」

と次第に結婚を意識した。

「順番は逆になったけど、子供ができたのがきっかけ。

(プロポーズは)本当に普通ですよ」と、名古屋場所前に婚姻届けを提出した。

(中略)

肩の脱臼、足の故障など苦しい時期に愛する人が支えになった。

「近くにいてもらった。

ケガして成績が悪いとき、本当に頑張りたいと思った。

ご飯を作ってくれたり、本当にいい娘だと思った」。”

引用元:デイリー

と、もうおのろけ全開でメロメロだった様子(笑)。

栃煌山の愛称「シャケ」の由来は?

栃煌山は、ネット上では「栃煌山 シャケ」というワードで検索されています。

このシャケというのはいったいどういう意味なのでしょうか?

気になって調査したところ、このシャケというのは栃煌山関の愛称である事が判明しました。

なぜシャケという愛称が付けられたのでしょう?

それは、彼が以前取り組みを行った相撲が関係していました。

2009年の3月場所で、把瑠都(ばると)さんとの試合であまりにも無抵抗でした。

下記のように足をバタバタしていた事から、当時解説を務めていた北の富士勝昭さんに

「シャケじゃないんだから」

と言われこのような愛称が付けられました。

また、この事については2chで次のように掲載されています。

”Qなんでシャケって呼ばれてるの?

A21年3月場所で把瑠都に吊り出しを食らった際あまりにも無抵抗で、解説の北の富士勝昭に

「シャケじゃないんだから」

と言われたから。”

引用元:2ch

同サイトに掲載されている通り、この解説以降に彼は「シャケ」という愛称が定着し、大相撲ファンから親しまれています。

栃煌山のWikiプロフィール

栃煌山のWikiプロフィールはコチラです↓

  • 四股名:栃煌山 雄一郎(とちおうざん・ゆういちろう)
  • 本 名:影山 雄一郎(かげやま・ゆういちろう)
  • 生年月日:昭和62年3月9日(37才)
  • 出身地:高知県安芸市
  • 身 長:186㎝
  • 体 重:150㎏
  • 出身校:明徳義塾高校
  • 所属部屋:春日野部屋
  • 最高位:関脇

幼少期の頃より相撲を始め、中学時代には120kgまで体重を伸ばして全中団体戦を制覇。

また、個人戦でも中学横綱のタイトルを取得し、この頃から相撲のキャリアをスタートさせます。

高校卒業後の2005年1月に同相撲部屋に入門し初土俵から勝ち越しを続け、同年11月では7戦全勝で三段目優勝を果たします。

その後、力士として数々の勝利を収め2010年に小結となり、2017年には大関候補と言われる程に活躍しています。

まとめ

今回は、【顔画像】栃煌山の嫁が美人!馴れ初めや愛称「シャケ」の由来も調査についてまとめさせていただきました。

相撲取りという特殊な環境の中で、栃煌山の意外な一面を知れて相撲だけでないご本人の魅力を強く感じました♪

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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